まずは、玉若酢命神社へ。神社の屋根についている懸魚(げぎょ)って知ってる?
おはようございます。
隠岐旅最終日、旅館「竹坊」の朝ごはんからスタートした。

自転車を走らせ、まずは玉若酢命神社(たまわかすのみことじんじゃ)へ向かう。
大通りに面した神社で立派な鳥居をドンと構えている。

境内を進むと、茅葺の神門があり、その奥に本殿が構えている。
御祭神として祀っているのは玉若酢命(たまわかすのみこと)。
隠岐に伝わる神様で、隠岐の開拓に携わった神様とされている。
境内でまず目に飛び込んできたのが、樹齢2,000年と言われる八百杉だ。
樹高38m、根元の周囲は20mに及ぶとのこと。
幹から分かれる枝部分の太さが、普段よく見る木の幹と同じくらいだから驚きだ。

枝葉の重さで、杉がやられないように、支えられていた。

そして、本殿に到着。
1日目に行った隠岐神社と同じく、隠岐造りとなっている。



向拝の下に、大きく羽を広げた姿で彫られているのが目を引く。
これは鳳凰を模した「懸魚(げぎょ)」と呼ばれる。
本来、懸魚は魚の形をしたものが始まりで、水の象徴として木造の社殿を火災から守るという意味を持つ部材である。
時代が下るにつれて、その形は格式を示す豪華な意匠へと発展し、鳳凰や鷹などの鳥形をとるものが現れるようになったそう。

鳳凰は古代中国の神話に登場する、天下泰平の世に現れるとされる伝説の霊鳥であり、「平和と再生」を象徴すると言われる。
玉若酢命(たまわかすのみこと)は隠岐の開拓に携わった神様であり、玉若酢命神社は隠岐の平和と再生を願ったのだろうか。
寺社仏閣の建築は、細かな部材の中に意味が込められているところが面白い。
昔の人の想いが込められていたり、信仰、宗教の意味が込められていたりと、奥が深い。
美しい田園地帯を越え、隠岐国一宮 水若酢神社へ。
隠岐誉の工場を横目に、美しい田園地帯を走る。
先が見えないくらい長い直線道路の両脇に田園が広がっており、隠岐旅で一押しのサイクリングロードだった。



向かう水若酢神社は、島の北部に位置し、南部に位置する玉若酢命神社から向かうとなると、隠岐の島島後を縦断する形となる。
道中はアップダウンも激しい山越となり、結構効いた。
休憩もしつつ、走り続けると水若酢神社(みずわかすじんじゃ)が現れた。


広い境内の奥には、相撲の土俵があった。
水若酢神社では、20年ごとに伝統的な隠岐古典相撲が行われる。
この相撲大会が面白いのは、必ず一勝一敗で分ける「人情相撲」と呼ばれる独特の方式となっている点だ。
海に囲まれた狭い島であったために、互いの名誉を称え合い、島民が和解して団結するための知恵としてこの独自の文化が生まれたのだそう。


そして拝殿へ。
水若酢神社は、隠岐国一宮であり、建築様式は隠岐造だ。

木々に囲まれた本殿と拝殿が美しい。

本殿の屋根の両端で、X字に交差して突き出ている部材が気になる。
「千木(ちぎ)」と呼ばれる部材で剣のようにも見える。
これは、屋根を支える構造材がそのまま突き出た形が起源とされ、後に神社建築の象徴的な意匠として残ったそう。

隠岐国一宮 水若酢神社の御朱印を頂いた。

風待ち・潮待ちの港「西郷港」の歴史を楽しむ。
そうしているうちに、帰りの時間が近づいてきた。
ここで、ランチと食後のコーヒーを頂いた。

最後は、西郷港近くで隠岐の街並みを楽しむ。
八尾川沿いに漁船が並び、水面に木造家屋が寄り添う街並みは、一見するとのどかな漁師町の風景だが、ここには日本海を舞台にした交易の歴史があった。


隠岐諸島は、北前船の寄港地として栄え、年間およそ2,000隻もの船がこの港に寄港したと伝えられる。
西郷港が天然の良港であったことがその背景だ。
船が沖合の悪天候をやり過ごし、次の航海に備えて風を待つ「風待ち港」として、栄えたのだった。

北前船は大阪と北海道を結んでおり、航路としては大阪→松山→隠岐→蝦夷だった。
大阪から北海道まで、海路で向かうとは今ではなかなか想像できない。
北前船の中継地点として栄えていたということは、日本全国の食・技術・文化などが流入していたに違いない。
そういう視点で隠岐諸島を回れたら、また別の発見があったのかなと少し後悔。
旅はもちろん、映画やニュースなど、どのような視点を持って見るかで受け取れる情報の幅や深さが変わる。
隠岐諸島はリピート確定なので、次回は北前船の背景知識を持って、島を歩きたい。
西郷港で本島へ向かうフェリーへ乗り込む。
ありがとう、隠岐諸島。また来るね。
昨日出会ったリョウジさんにも「また来ます」とLINEを入れた。
素敵な出会いをありがとうございました。


今日の碧色
西郷港八尾川の青色が美しく、また、北前船の歴史を感じた町並みだ。

